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2016年 山中高女慰霊祭

2016慰霊祭写真

 毎年8月6日には、福山附属の前身校の一つである山中高等女学校の原爆死没者慰霊祭が催される。私は、2016年に、初めて慰霊祭に参列した。福山附属を卒業して28年目の夏のことだ。
 山中高女やその慰霊祭のことは、自分が福山附属の生徒だった頃から耳にすることはあったが、自分の生活との接点を実感することはほとんどなかった。高校卒業後は福山附属の同窓会とも疎遠になっていた、そんな私が山中高女の慰霊祭に参列したいと思った切っ掛けは、2016年5月に行われた広島オリーブ会総会への参加である。幹事学年の一人として声を掛けられての初参加であったので当時は何も知らなかったが、第32回広島オリーブ会総会は、山中高女の同窓会である橘香会の第127回総会との合同開催ということであった。橘香会独自の同窓会活動は平成16年に閉じられているそうだが、あくまでも橘香会あっての広島オリーブ会であるという認識が根底にある。そして、山中高女の慰霊祭は、地元の町内会の方々と広島オリーブ会とで協力して引き続き営まれているとのことである。慰霊祭に対する広島オリーブ会の考えを語る佐藤会長の強い信念に感銘を受け、私もその場に立ち会ってみたいと思うに至った。
 厳かな空気の中始まった慰霊祭は、追悼の辞、8時15分の黙祷、献花と続き、次第に和んだ雰囲気となっていく。福山附属学友会から参列の若き高校生は、私たちの頃と全く変わらぬ懐かしい制服姿であった。久々に顔を合わせた参列者同士の挨拶や、時には談笑も聞こえる中、私は敷地の端の方に立ってじっと献花の列を眺めていた。そのとき、山中高女に通ったという方が私に話しかけて下さった。
 87歳になられるというその大先輩は、毎年この慰霊祭に参列なさるという。そして決まって、前の日には眠れないのだとのこと。同じく山中高女に通い、亡くなられた妹さんが、賢くて可愛らしくて自慢だったそうだ。あの日、妹さんを探していたら、幸いまだ息が残っている時に会えて、山の中で一晩一緒に過ごしたとのこと。妹さんは水を飲みたがっていたけれども、飲ませたらいけないと聞かされていたので飲ませなかったんだそうだ。飲ませてあげればよかったかのなあ、と呟いていらっしゃった。
 「なんで戦争なんかになったんかねぇ。原爆二つ落ちたけど、二つだけでもういいよねぇ…」
 大先輩は、妹さんのこと以外にも、お兄さんやご両親のこと、当時嫌いだった人のこと、山中高女の先生のこと、山中高女が好きだったこと、などなど、たくさんお聞かせ下さった。山中高女にまつわる楽しい思い出の数々をお話し下さるそのご様子は、同窓会で昔のことを後輩に楽しげに語って下さる一人の優しい先輩の姿そのものであった。
 山中高女の生徒さんが勉学に勤しんでいた頃と、私たちが高校生だった頃、そして、今。時代は違えど、十代の生徒たちが日頃見て聞いて、考えたり、笑ったり泣いたりする様子なんて、そんなに大きく変わりはしないだろう。そして卒業後20年も経てば、全ては懐かしい思い出話になる。山中高女の生徒さんの学生時代にだって、そんなふうに懐かしく楽しく語り合われるはずだった話題は沢山あったに違いないのだ。そんな、ありふれた、普通の人々の営みが、突然この世から消し去られてしまうなんていうことが、実際に起こったことなのだ。
 戦争が終わって、もう72年になろうとしている。人の一生の長さくらいの時が経っている。それを昨日のことのようにはっきりと覚えている人々がいるのだ。当時を思い返すと今も眠れないという人々が懸命に生きている。親兄弟や友人のことを想い続けている人々。子供たちの未来を案じ祈り続けている人々。悲惨な出来事を、忘れようとするのか、忘れまいとするのか、思いは様々だろうけれども、誰もが長い間もがき苦しむことを強いられながら、生きている。誰のために。何のために。
 大先輩と一緒に過ごさせて頂いた心が安らぐひとときを通して、平和への思いを新たにした、暑い夏の日の出来事だった。
(36回生 川端英之)
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